認知症、知的障害・精神障害等の相続人がいる場合の遺産分割
認知症、知的障害や精神障害によって、正常な判断能力を欠いている相続人がいる場合、遺産分割の手続きはどのように行えばよいでしょうか。相続の実務では、例えば次のようなケースで、このような問題が発生することがあります。
- 認知症の母の介護を行っていた父が、介護疲れが祟って急死。母が相続人として残されてしまうというケース
- 被相続人の子のうちの一人が事故で遷延性意識障害(いわゆる植物状態)となってしまっているケース
- 被相続人の子に知的障がいがあるというケース
以下では、こうした場合に遺産分割との関係でどのような対応をするべきか、主として認知症の相続人のケースを想定して弁護士が解説します。
遺産分割協議には意思能力ある相続人の合意が必要
認知症の相続人を除外した遺産分割
遺産分割協議は、相続人全員の合意によって成立します。したがって、認知症の相続人を無視し、その他の相続人で遺産分割協議をしても、それは当然に無効となります。
なお、遺産分割協議書に勝手に認知症の相続人の署名押印をするような行為については、協議の無効どころか、私文書偽造などの犯罪行為とされる恐れもありますので絶対に行ってはいけません。
有効な遺産分割協議には相続人の意思能力が必要
では、認知症の相続人から、遺産分割の内容について了承を取り付けたという場合はどうでしょうか。この場合は、認知症の相続人に意思能力(法律行為を有効に行うための理解・判断能力)が備わっているかどうかがポイントとなります。
遺産分割協議における合意は、意思能力のある相続人の意思表示に基づく必要があります。民法上、意思能力を欠く人物の意思表示は無効とされてしまうからです。このため、重度の認知症により、意思能力を欠いた状態にある相続人から遺産分割の内容について同意を得ても、有効な遺産分割協議が成立したことにはなりません。
他方、認知症が軽度であり、相続人の理解・判断能力に問題がなく意思能力が備わっているといえる場合には、その相続人に遺産分割の内容を説明し、理解・了承を得ることで、有効な遺産分割協議を行うことができます(もっとも、認知症の相続人について、法定後見が既に開始されている場合には、意思能力があっても遺産分割協議が取り消される可能性がありますのでご注意ください。)。
成年後見制度を利用した遺産分割
相続人の中に意思能力を欠くほどの認知症の方がいる場合、遺産分割の前に、家庭裁判所に対して成年後見人選任の申立てを行い、成年後見人を選任してもらう必要があります。
成年後見制度とは
成年後見制度とは、認知症や知的障害などによって事理弁識能力を欠き、物事を適切に判断できない人(成年被後見人といいます)について、裁判所が成年後見人を選任し、成年被後見人を保護するための制度です。成年後見人は、成年被後見人の法定代理人として、成年被後見人の法律行為の代理や、成年被後見人が自ら行った法律行為の取り消しをすることができます。
参考:法務省ホームページ「成年後見制度~成年後見登記制度~」
法定後見制度の全体像
精神上の障害によって事理弁識能力の衰えた方の利益を保護するための制度としては、成年後見制度のほか、「保佐」や「補助」の制度があり、これらをまとめて「法定後見制度」と呼ぶことがあります。保佐・補助の制度においても、それぞれ権限は異なりますが、保佐人・補助人が家庭裁判所に選任され、事理弁識能力の衰えた方の利益保護のための活動を行います。
成年後見人を交えた遺産分割の流れ
成年被後見人となるべき者(本人といいます)からみて4親等以内の親族は、成年後見の申立を行うことができます。認知症で事理弁識能力を欠く相続人がいる場合、その他の相続人は、4親等以内の親族にあたることが通常ですので、自ら申立人として、成年後見開始の審判を求める申立を行うとよいでしょう。申立先は、本人の住所地を管轄する家庭裁判所です。
成年後見の申立があると、家庭裁判所は調査官を通じて事情の調査をしたり、医師に依頼して鑑定を行ったりすることで、成年後見開始の審判を行い、成年後見人を選任します。成年後見人には、親族のほか、事案により、弁護士、司法書士、社会福祉士などの専門家が選任されることもあります。
成年後見人が選任されたら、他の相続人から成年後見人に対し、遺産分割についての交渉を申し入れ、遺産分割協議を行います。成年後見人は、本人である被後見人の財産状況や生活の状況を検討しつつ、本人にとってもっとも有利と判断される遺産を取得するよう調整すべきとされています。
以上の流れを経て、遺産分割協議がまとまったら、成年後見人を含めた協議参加者によって遺産分割協議書を作成します。
成年後見制度を利用をしない場合
意思能力を欠くほどの相続人がいる場合には、上記のとおり、成年後見制度を利用した遺産分割が原則となります。しかし、成年後見制度の利用には、時間や費用が必要であるため、遺産が少額であるなどの場合には、この制度を利用してまで遺産分割をすることを躊躇される方も少なくありません。
遺言によって分割方法が指定された財産
このような場合には、たしかに、遺産分割の手続きを行うことはできません。しかし、遺言により分割方法が指定された財産がある場合には、遺産分割を経ずして当該財産が遺言により指定された取得者に帰属するものとされています。したがって、そのような財産については、認知症となっている相続人との間で遺産分割の手続きを行う必要はありません。
推定相続人の中に認知症の方がいる場合には、この仕組みを活用し、遺産を残す方があらかじめ遺言書を作成しておくことで、事後の遺産分割の問題を回避することもできるでしょう。
遺産分割を経ずして取得可能な財産
さらに、遺言がない場合でも、まだ可能性はあります。相続財産のなかには、遺産分割を経ずに、相続開始の時点から当然に各相続人に法定相続分に応じて分割帰属する財産があるとされています。そうした相続財産については、各相続人が独自に取得の手続きを行うことが可能です。例えば、
- 被相続人の第三者に対する貸付金
- 被相続人のキャッシング取引から生じた過払金(不当利得金)
- 交通事故の慰謝料等の損害賠償金
などについては、通常、各相続人が自己の法定相続分に応じた金額を単独で行使可能と考えられます。もっとも、この方法だと、意思能力を欠く相続人の取得分についての権利行使はできず、これを行うためにはやはり成年後見人の選任が必要となります。
なお、普通預金や通常貯金に関しては、従来、上記のような各相続人ごとの権利行使が可能であると考えられていましたが、最高裁平成28年12月19日大法廷決定の判例変更により、当然分割性が否定され、未分割状態での単独権利行使が不可能となりましたのでご注意下さい。